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これは、期待なのか。

はじめに

ここ数日、GameJam in 春休み(in 春休みは今適当につけた)のクソゲーを作ったりアニメ見たりして過ごしていたのですが、サークルって難しいなぁと思った出来事があったのでちらっと書こうと思います。

何があったのか

ここ最近になって今までいせいだったりで書いていなかった人が記事を書いてくれるようになったりしていい調子であったが、そんな中、やはり問題として残っていた書き方に関する問題である。
とりあえず言いたいのは、説明はしっかりと読みましょう。ということ。
まさか、Googleドキュメントで送ってくる人がいるとは、、、、
まさか、main.html.htmlというファイルを送ってくるとは、、、、
まさか、index.htmlが開けないと言ってきた上にNode.jsで開くものだと言ったら、ルールすら理解する気のないやつに、「なぜNode.jsを使うのか」と聞いてくる人がいるとは、、、、
というような、まさかと思うようなことばかり。
とりあえず、説明はしっかりと読みましょう。説明読まないやつに説明することは何もない。なぜなら説明を読まないのに説明書いても読まないから説明できない。春休みだから大学で会って話すタイミングもそうないのに。
これは、「説明を読んで理解をするということ」は、最低限出来る事だと思いたいのだが、期待のしすぎなのだろうか。これが期待しすぎというのなら、この世の義務教育、高等教育というものはさらに期待しすぎなような気もするが。

どうするべきなのか

こういう人がいるということがわかってしまった以上、対策しないといけないようなきがしなくもないわけであるのだが、もはやこれはものを教えるという範疇を超えているのではないだろうか?
これは非常に難しい問題なような気がしてならないが、とりあえず、説明を読まないってなんなんだ?
しかし、これはあくまでこちら側が「理解しきっていない」ことを「読んでいない」と認識しているのであって、あちら側は「読んでいる」と思っているのかもしれない。
話は変わるが、先日のバレンタインの記事に、「次のブログを書く気はない」といった人がいるが、継続的にその人に書けと催促する意味は果たしてあるのだろうかと疑問に思うことがある。
書くことがないではなく、書くのがめんどくさいだけのようにしか見えないのが正直なところである。
書くことはこんなことあんなことと色々案を出したつもりだが、これはただの「つもり」なのか、、、?
ルールをあまり決めてない時から書いて様々なルール変更にも対応してくれた上で書いてくれた人がいる中で、一つのルールすら守ることのできない人がいて、書いてくれない人がいて、その差は一体何なんだろうか。

ブログの継続

ブログというものは誰かが書くから成り立つのであって、母数が多い集団なのであれば強制にせずとも書く人は存在するだろう。
だが、このブログはそういったサービスと違い、芝浦工業大学の電子計算機研究会のメンバーしか書かないものである。
システムも全然未熟で、HTMLをやらなんやらを勉強し始めて4か月経っていない素人1人がワードプレスだったりの補助に頼らずに色々なサイトを参考にして作った大したことのないサイトである。
そういった意味では、書いてくれる人は極僅かであるから、誰か一人でも「書かない」という状態になるとみんな書かなくなる。社会主義というものを知っている人ならば誰もが理解できるのではないだろうか。
最終的にそういったものが好きな人だけが書くようになり、好きな人も別にここで書く必要がないと分かれば別のところで書くだろう。そういった意味ではやはりみんなに書いてもらう以外に選択肢はない。

矛盾

そういう理由から書いてほしいと頼んだ時、「誰か一人でも書かない人がいてはいけない」という部分と「サークル活動だから強制はできない」という部分で矛盾が生じている。
結局、サークルでやっているブログなんていうものは、書いてくれる人がある一定数居続けてくれることと、管理者がいることの大前提が必要で、自分がいなくなったときこのサイトは放置されるようになるかもしれない。
そして、この矛盾というのをなくすには部員の協力にかかっているのである。
最近は書いてくれない人が書いてくれたが、逆に書いてくれていた人からのものがなくなっていて、結局こうして書かなくなっていくのではないかなと思ったり思わなかったり。

過去・現在・未来

「後悔先に立たず」とはよく言ったもので、後悔することが分かっているわけがない。だが、正直ブログのシステムをくみ上げて、一覧作るのであったり、様々なものを導入するのがこんなに大変だとは思わなかったし、それこそ1年前の入学前に1年後こんなことをやってるとは思わなかった。
大変な時はこんなもの引き受けなきゃよかったと後悔して、作り終わればよかったと思い、達成感を感じる。そして、後悔は後悔ではなく経験になる。確かに後悔先に立たずである。
自分は「今の自分が楽しければいい」と「その時その時を楽しむ」は少し違うように感じていて、前者は自分勝手。後者は何と言ったらいいのだろうか。ポジティブという表現が近いのだろうか。
そしてまた、ブログを書いてくれない人、そしてルールを守らない人は前者なのではないだろうかと思っている。というのも、今の自分がやりたくない、ルールをしっかり読み込むのがめんどくさいという理由で、このサークルに属しているのにもかかわらず、サークルの活動を拒んでいる。全く先々につないでいこうという意思が感じられない。もしかしたら他に違う理由があるかもしれないが、是非そうなら教えてほしい。
意思が感じられないのは別にどうでもいいのでかまわない。だがやはり、「今の自分がよければそれでいい。」というような考えを持っているような気がしてならない。嫌なものから逃げてもいつかは嫌なものが出てくるのだから、だったら嫌なものも含めてその状態を楽しめたほうが人生楽しいのではないだろうか。
そして、それらをやった結果、その時に後悔したとしてもいつかそれが先々で問題を抱えた際にその問題を解決する手助けをする経験になるのであはないだろうか。
だがたぶん、嫌という人は、今やりたくないからやらないというのだろう。そしてこのブログに関していえば、別に自分がやってもやらなくても一緒であるともいうだろう。しかし、それをすることによって多少はそれが団体にたいして与える影響を、周りに対してある一定のデメリットを与えている可能性があるということを理解したらどうなのだろうか。
このブログは、Den3のHPは、誰か一人が書かないと言ってしまっては、最低限のルールを守ってもらわねば、誰かを特別扱いしてしまっては、全ておしまいなのである。

結局のところ

結局のところ、書いてほしい、これくらい知っていてほしいというのは期待なのだろうか。
期待のし過ぎと言われたら否定はできない。なぜなら人によってできるレベルが違うからである。だが、ある集団でやろうとなっていることを自分だけやらない、最低限のルールですらそれを読んでそれを守ることができない、というのは知っているわけではないので違うかもしれないが、社会に出た時に困ることはないのだろうか。
やりたくない、自分には合わないからやらない、知らないからできなくてもしょうがない。そういう選択肢をとってやらないというのもわかるが、自分で所属すると決めた団体でくらい色々なことにチャレンジしてみたらいいんじゃないだろうか。
まあ、失敗したときとかに言い分けないとカッコ悪いとか思ってるただのガキのような人なのかもしれないけど。

以上、「それは、期待しすぎなんだよ」と言われた話とそれについて思ったことでした。

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